はいさーい!
台湾のWYUA通信員のれいなさんから基隆(きーるん)にあるウミンチュ像レポートでーす!
どうぞ!
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台湾・基隆市「琉球ウミンチュの像」
ここ台湾も日に日に暑くなってきて、もうすぐ本格的な夏が始まろうとしています。
来月(旧暦の5月3日)には龍舟(ハーリー)も台湾で行われ、それが終わると台湾で本格的な夏が始まるといわれています。
台湾と沖縄は距離的にも近く、また文化的にも似てる所がたくさんあり
台湾人も「沖縄」といえば、「黒糖」が有名!とほぼすべての人が知っています。
また、台湾の芸能界でも沖縄出身の方々が活躍しており、百貨店などでも沖縄物産店などが開かれたり、
三線を習いたいという人も日に日に増え、沖縄音楽が好き!沖縄に観光してみたい!!という台湾人もたくさんいます。
戦前、多くの沖縄漁民が居住していた台湾北部・基隆の和平島で昨年12月1日、
日台の有志が建立した「琉球漁民慰霊碑」(琉球ウミンチュの像)の除幕式が行われ、
双方の関係者約200人が交流を深めました。
台湾・基隆の和平島への沖縄漁民の移住は日本統治時代の1905年(明治38年)ごろに始まり
最盛期の35年(昭和10年)前後には約600人近くが台湾最大の沖縄漁民集落を形成していたそうです。
そこで居住地を提供した台湾住民に琉球の漁師が漁法、造船などの技術を伝え、
双方は尊重・協力し合う生活をしていましたが、琉球集落はのちの太平洋戦争で消滅しました。
家族が引き上げた後も、基隆の地元住民らは「社寮島」付近の琉球人、スペイン人、オランダ人の遺骸を集め、
島内の祠「万善公」に納め、祀ってきました。
慰霊碑は、昨年、同島の歴史を知った沖縄の企業経営者らが、
漁や戦争、戦後の政治的迫害などで命を落とした祖先のために、
台湾の有志と協力し寄付金を募って、サバニ漁船の上でモリを構えた男性の像を制作しました。
発起人の1人でもある許光輝氏は同慰霊碑の建設は双方が交流するきっかけを作ったのみで、
今後は琉球の南部でも「日本全国台湾人戦没者慰霊塔」を作ったり、
双方の文化的往来が進むよう、沖縄出身のアーティスト、夏川りみさんを招きたいとおっしゃてるようです。
沖縄人にとって台湾は、馴染みやすい文化がたくさんあると思います。
ハーリーを始め台湾には、清明祭(シーミー)や、その他沖縄と同じようなたくさんの行事があり
食文化もどちらも豚肉文化で、またどちらも油料理、揚げ物料理が多いです。
他の都道府県の日本人はそれがダメで、台湾料理を全く食べない方が多いです
食べれないという人たちもたくさんいましたが、
私や他の沖縄人は結構平気で、慣れるのも早かったです。。
このように、台湾と沖縄は歴史的にも文化的にも他の日本の都道府県とは似通った部分がたくさんあのですが、
現在はまだまだ文化的交流の機会が少ないような気がします。
私の出身の宮古島市と基隆市は友好姉妹都市を結んでいるのですが、
全く交流がない気がしてせっかく結んでいるのにもったいないと感じるときが多々あります。
もっともっと沖縄と台湾が交流を深め、ますます近く感じるととてもいいなと思います。
現在台湾で活躍している沖縄出身の芸能人や、
沖縄出身だけでなく台湾人の歌手やこのような方々が沖縄でライブをしたり、
また逆に沖縄から台湾でライブや演奏会などが出来るような日があって欲しいです。
オマケ
ほんの少し、基隆と台湾芸能界の紹介…
基隆はもともと同地一帯に住んでいた台湾原住民平埔族ケタガラン族の族名が
なまってケランとなり、それに台湾語音によって漢字が宛てられ、
鶏籠(雞籠, ケーラン)と呼ばれていた。今日でも台湾語での呼称はこれで呼ばれています。
1875年に清朝政府がここに台北分防通判を置いたことから、ケーランと近い音でさらに
「基地昇隆」の意味を込めて、鶏籠から基隆(キールン)に改変しました。
基隆の有名な観光地「野柳」と基隆にある夜市の風景
基隆出身の有名人にはショウ・ルオ(羅志祥)がいます。親日家で有名で最近日本デビューもしました。
私の好きな台湾芸能人の一人で沖縄でライブする日があって欲しい!と本当に願ってます。
台湾で活躍している沖縄出身の歌手です。
真ん中の女性が沖縄出身で「愛紗」と言います。
2012年5月 下地伶奈
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私たちの祖先が海を渡り、そこで生涯を終え、なおその地で大事にされている。
すごく嬉しいですね!台湾は一番近い海外!
LCCが沖縄でも始まったらみんなでフィールドトリップにも気軽に行けちゃうかもしれませんね!
そしてそして!台湾で活躍するウチナーンチュアーティストがるなんて知りませんでした!
すごいですね!れいなさん今度は曲の紹介もお願いしますねー!
謝謝!!